東京都町田市小山町
創業130年に及ぶ麹作りから味噌作りへ。
女性ならではの感性で作り出された5代目浜田千重さんの手作り味噌が口コミから評判を呼ぶ。
記者:小林清一
都市化が生んだ井上の地味噌作り
「日本人なら忘れちゃこまる 生まれ故郷と味噌汁を」(作詞中山大三郎)と、 ヒット曲「味噌汁の詩」で千昌夫から釘をさされたのは1980年だった。 それほどに我々の食卓では、米離れ味噌離れが進行していた。
「生まれて、母乳の次に口に入れた食物は、おそらく味噌汁だったのではなかろうか」。 好著「日本の正しい調味料」(小学館)で食文化ジャーナリスト陸田幸枝さんは「麦味噌」の冒頭にそう記した。 かつては母乳に次いで刷り込まれた味噌の記憶は、日本人に共通する「おふくろの味」の代表だった。 だから「君の作った味噌汁を毎日飲みたいな」といえばぎりぎり70年代ぐらいまでは、プロポーズの常套句として認可されていた。
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かぐや姫の「妹」(喜多条忠作詞)では、「明日 お前が出て行く前に あの味噌汁の作り方を書いておけ」と、 残された兄だって嫁ぎ行く妹に頼んでいる。 さらに前だと「かあさんのあかぎれ痛い。生味噌をすりこむ」と、 「かあさんの歌」(窪田聡作詞)に切実に歌われているのはご存知のとおり(といってもご理解いただけるのはラジオ深夜便世代ですな)。 この歌が発表された昭和33年くらいまでは、農家の味噌は自家製が殆どだったし、 味噌及び味噌汁は「忘れちゃこまる」どころか日本人の食の中心にあったのだ。 明治初期から東京都町田市小山田で近在農家の味噌作りに欠かせない麹を売っていたのが、 これからご紹介する井上糀店のルーツだ。このあたりは昔から多摩丘陵の谷戸ごとに集落があり、 里山と平地の生み出す陸稲や大麦、小麦、大豆、蔬菜の豊かな生産地だった。 しかし都市化の波とともに開発は進み専業農家は減少する。 味噌は作るものではなく買うものとする住民が増えるに及んで、麹の需要は激減した。 これが「井上糀店」と店名には残したものの、麹から味噌へと製造販売品を変えた事情だ。 「4代目の父井上榮が味噌作りの創業者です」と5代目を継いだ実娘の浜田千重さん(結婚による改姓)が語ってくれた。 奇しくも「味噌汁の詩」が発表された1980年のスタートだった。 |
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女性ならではの感性が光る味噌
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「味噌とは大豆と麹を食塩と混ぜて固体発酵させたもの。
これに具を入れて味噌汁として液状態で濁りのまま飲食するのは世界の食文化からみて実に珍しい」と、
東京農大教授小泉武夫さんはいう。 さて多摩の地味噌は、かつては麦味噌が主流だったらしい。 「昔は米は高価だったので、入手しやすい大麦で麦麹を作りそれで味噌を仕込みました。 米が入手しやすくなるまでは米味噌は普段使いではなかったのです」と浜田さん。 そうした昔ながらの味噌は浜田さんのお父さんから受け継がれて、 今も「米みそ」「麦みそ」(商品名)として売られている。 「特に麦みそは米みそに比べると個性が強いのですが、昔ながらの味だと喜ばれます」とのこと。 浜田さんに言わせると「お客の好みは実にさまざま」らしい。 例えば浜田さんがディレクトした「海風(うみかぜ)」は、従来の倍量の麹と、 伊豆大島産の高級自然塩「海の精」を使用しているが、人によっては「美味すぎる」との評もあると率直に語る。 この味噌は減塩食の人や年配に特に好まれる。 他の味噌は「鳴門の渦塩」という精製度の高い塩を使っているが、 好む人には「素材の味を塩のうまさが邪魔しない」と支持される。 一つ覚えのように「塩は自然塩」というような単純なものではないらしい。 それだけ時代とともに食の好みや要求も変化し続けているわけだ。 こうした難しい課題に取り組むことは彼女にはむしろ生きがいらしい。 |
伝統的な味噌作りにこだわる父との葛藤をくぐりぬけて、次々と新しい味噌作りにチャレンジするうちに勝取った自信が、 彼女の言葉に漲っている。 「父の反対を押し切って料理上手の母のアイディアで作ったのが、 (匠・たくみ)です。海風のベースになった味噌です。 父からは倍の麹を使うなんて、といわれましたが」。 話は後先するが、私が井上糀店の味噌と最初に出会ったのは、この匠だ。 売り切れ寸前の一個だけ残ったのを購入、早速味噌汁を作ってみた。 「多摩の地味噌」からイメージされる質朴剛毅な味とは正反対の、上品な優しい甘みに溢れていた。 正に「母の味噌」だったわけだ。
新たな「地味噌の母」目指して
こうして徐々に味噌が口コミで知られるようになり、 売り切れで仕込んだ味噌が品切れになるといううれしい現象まで起きてきた。 実際私が撮影用に「匠」を求めたところ、すでに売り切れていたのだった。 こうした思わぬ人気も自然に起きたことではない。 浜田さん自らどうにかして自分の味噌の味を伝えたいと、 イベントや売り込みにも積極的に努力したし、新しい味噌のレシピも考えては試した。 また、ご主人も彼女を支えた。新たな味噌作りの経済的なバックアップはもとより、 ホームページや各種パンフレットも手作りで応援してくれた。
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味噌作りにはのべ12人の働き手が協力してくれている。 若い人からご近所の主婦まで、浜田さんの情熱に共感してのことだ。 さらに、食いしん坊を自負する彼女が選んだ美味しくて安全な食品を売る小売店「美味食材おいしいもの」も町田街道沿いにオープンした。 味噌、麹はもちろん、卵や自然塩、自然発酵パンなど彼女の食に対する姿勢がうかがえる品揃えだ。 「だから忙しくて体が辛いことがあっても、心はすごく幸せです。今までの人生で最高って感じ」。 今の規模では注文に生産が追いつかないので、新工場建設の融資を公的機関に頼んだところ、 後継者としての彼女の熱意が通って認められたのだ。 まもなく、去年初めて仕込んだ新製品の「玄米味噌」も発売される。 その出来が楽しみで文字通り「産みの母」の心境だ。 味噌のアイディアをめぐって葛藤のあった父のことも、現在の土台を築いてくれた感謝の気持ちでいっぱいだし、 今も社長として娘の5代目を見守ってくれている。 折も折り、このごろは味噌や麹のパワーが再認識されはじめてきた。 抗がん作用や、高血圧の防止、抗酸化作用、老化防止、抗アレルギーなどなど・・・。 味噌需要全体の低迷のなか、国産大豆のよる手作りと自然醸造にこだわり、 塩分濃度9パーセントに気を配る「井上糀店」の味噌が、「忘れちゃこまる」とばかり需要を伸ばしている。 だから、こそおばめれ自然無添加醸造味噌に情熱を燃やす「地味噌の母」に、心よりエールを送りたい。 |
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【案内】
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● 京王相模原線 多摩境駅下車徒歩15分 |
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